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2004/09/25

荒神<ARAGAMI>

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   「荒神」 北村龍平監督 (DVD,ビデオ) 2004年1月

父親の影響か時代劇大好きになってしまった私であるが、久々に面白い時代劇アクションを見た。
古寺にたどりついた落武者(大沢たかお)と、彼を介抱する不思議な女(魚谷佳苗)と寺の主(加藤雅也)。瀕死の状態でたどりついたはずの男であったが、目覚めるとなぜか傷はすっかり癒えている。女の作った食事のもてなしを受けながら寺の主との会話が進む。寺の主は自分は天狗と呼ばれていると話し出す。天狗は山に住み人の肉を喰らって生きているのだと言う。やがて寺の主は、天狗は真の名を「荒神」と言い、自分は「荒神」であると名乗り自分を殺させるためにおまえを選んだのだと言い放つ。かくしてふたりの死闘がはじまるが・・。
この古寺の雰囲気が最高にいい感じなのである。暗く落ち着いた雰囲気の寺の中はあちこちに梵字のようなものが描かれ赤い布が天井やら柱などから巻かれたり下がったりしており、正体不明の仏具やろうそくが立ち並び巨大な仏像が独特の照明を浴びて居座っている。なんとも私の好きな色合いである。そしてまた、ふたりの戦いが迫力があるのだ。思わず手に汗にぎるというか、「今、私に話しかけるんじゃないよッ!」というオーラが出てしまうくらいの目の離せない壮絶なバトルが繰り広げられるのである。
同監督の作品に「あずみ」があるが、さすがにPG-12指定だけあってかなり血なまぐさい。というか、血糊が出すぎだよコレ、などと思うのであるが外国ではかなり受けたようで、あずみ役の上戸彩が大人気だそうな。確かにあずみはかっこよかったけど、美女丸がヘンだったのに。加藤清正の家来である井上勘兵衛役の北村一輝がいい味を出していたのが印象的であった。
2005年には「あずみ2」が公開されるとか。

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2004/09/11

絵のモチーフと写真

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これは、私のMainウェブサイト「画家の部屋」の中の「彫刻の部屋」に置いてある「曙の子」という絵のモチーフ写真です。写真を見て描く訳ではありません。絵が完成した後、モチーフをくずす前に記念に撮っておいたものです。たまに私の絵を見て「写真みたい」と言う人がいます。私は写真を見るのは好きですが、写真みたいに描いているつもりはないのです。それで、ちょっとここではたまに モチーフの写真を載せてみたりしたいと思います。

物を見てそのとおりに描くだけなら図鑑等に載せるための絵と同じようなものではないでしょうか。写真を撮ることも、撮る人の気持ちや技術によっては その人の心を表現することのできる手段になると思うのです。絵は見ているモノが 自分の中で美化され、昇華され、感覚で表現されるからこそ絵としての価値があるのです。表現するという行為が意味を持つのです。それは具象画でありながら抽象画のように自分の内面をさらけ出すことに等しいものです。

では、同じ心を表したとして、写真と絵の違いは何かとつらつら考えてみるに、やはり大きな違いは「時間」なのでしょうか。写真は自分の心をシャッターを切る前の凝縮された一瞬にかけるのだとすれば、絵は線を重ね 色を重ねるその一筆一筆に心を込めるのだと思うのです。
点描画家は夭逝すると言われています。実際、スーラほどの点描画家になると、点描のひとつひとつを 網膜上での色の混ざり具合まで計算しながら 魂を込めて描いていくので、点描作品を描けば描くほど 出来上がった時には魂をすり減らしているというのも うなずける話です。

参考blog記事:「写真で心を表現するって?」

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2004/09/10

テレビ修理中

この間エアコンが壊れたと思ったら、今度はテレビ・・。前からリモコンの電源ボタンを押してもカチッというだけでスイッチがつきそうでつかない現象が起きていたのです。それでも50回くらいカチカチやってるうちについたりするので、いまいち修理に出すのをためらっていたのですが、見たい時にすぐにつかないストレスがたまって疲れてきた。どうせスイッチの接続不良かなんかですぐ直るだろうと思い、32型ワイドだから持って行かなくても出張修理してもらえるし遅くてもその日のうちに終わるはず、なんてたかをくくってたら甘かったのです。あの4人がかりで運ばないと重くて持ち上げられないテレビを「持って行って修理します。」ということでもうすぐ6日目・・。「CSI・3」も見られなかったし、ひょっとしてこの次の「キングダム・ホスピタル」も見られなーい !? 「X-Men2」もテレビで放映されるのずっと待ってたんだよー。
2011年には地上波アナログ放送がなくなるとかで、だんだんこんな重たいテレビも過去の遺物と化して、薄型に変わってくるのかな。テレビなんて無ければないでいいよね、普段そんなに見てないし、と思ってたのですがなくなってみるとけっこう楽しみに見てたのがあったりして、見られないとわかるとなんだか悔しい。プレステでゲームもできないし、DVDも見られない。いや、パソコンでやればって言っても32型でやるゲームの迫力はまた格別だし・・。
もしかしてこれは、そんなことしてるヒマがあったら作品を描けということなのでしょうか・・。

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2004/09/02

言葉と書

  itumo.jpg  touyou.jpg

左:「しあわせはいつも」 相田みつを著 文化出版局
右:「東洋的な見方」 鈴木大拙著 岩波文庫

誰しも少なからず「座右の銘」みたいなものは持っていると思います。それで私は何を思い出すかというと「正法眼蔵」なのです。去年だったか山形美術館に行った時「相田みつを展」が開かれていて東北では初めての大々的な企画だった訳ですが、ラッキーなことにちょうど息子である相田一人氏の講演を聞くことができたのです。その時に父である相田みつを氏が座右の銘ともいうべき本をいつでも手元に置いていた、というような話をされていて、それが道元の「正法眼蔵」だったのです。
かくなる私も随分前にテレビで相田みつをの番組を見て感動し、以来自分の部屋には「しあわせはいつも」という本やら、「心の暦」やら「日めくり」といったものが狭い部屋にページを広げて置いてあります。その時の状態によって違うページが開かれている、といった具合です。ちなみに今は「けれど けれどで なんにもしない」という日めくりのページと「やらなかった やれなかった どっちかな」という暦のページが開かれています。「考えてばかりいると日がくれちゃうよ」というページも開かれる頻度が高いです。
道元といえば日本曹洞宗の開祖ですが、「禅」の考え方というのは私には難しく「正法眼蔵」どころか、わりに読みやすいと書いてあった鈴木大拙の「東洋的な見方」という本でさえ禅問答のような話は理解できない所が多々あります。相田みつをの言葉と書が心を打つのは“誰にでもわかる言葉と書”で「禅」の心を伝えてくれるからに違いありません。

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2004/09/01

現在進行中

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今描き始めているこれは、K先生のところからもらっ・・貸していただいてるポインセチアの造花です。誰かが去年のクリスマスに持ってきた赤と緑のケバケバしい色の造花だったのですが、K先生がある時筆でジェッソを塗り始めたのでどうなるんだろうと思っているうちに、ワインのビンとともに白いビンにさした白いポインセチアの出来上がりとなりました。「おぉ、これは見違えるようだ」と思って、ちゃっかりもらって・・違った、借りてきちゃったんだよっと。今、バーントシェンナでラインを描き、テールベルトの影をつけたテンペラを塗る前の下塗り段階です。これからグレーズします。これは12月の個展に間に合うかなぁ。

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