2008/07/18

ギャラリー・スタンプラリー

「版画みやぎ」展覧会も終わり、油彩な日々がまた戻ってまいりました。
同時開催で仙台市の南町通りにある「ギャラリーJ」という所で版画みやぎに展示している作家さんたちの小作品展をやっていたのですが、私はこのギャラリーがあるのをはじめて知ったので「こんな所にギャラリーが!?」と、思ってしまいました。
 G_j
ビルの8階にあるので入り口がよくわからない所が難点ですが、エレベーターで上がって扉を開けて入ってみると、落ち着いた雰囲気の、明るくて感じのいいギャラリーなのです。深沢幸雄の版画作品や、版画みやぎで活躍中の作家の作品も常設されています。
ここは7月行われている「仙台街中ギャラリーウォーク・スタンプラリー」の会場のひとつになっているのです。来場者が会場となっているギャラリーを回ってスタンプを5つ集めて応募用の箱に入れると、抽選で各ギャラリーから1人ずつに3000―5000円相当の陶器や木版画などが贈られる、という企画なのです。こういう企画っていいですね!仙台では今までなかったですから、どんどんやってほしいと思いました。10月には宮城県美術館も開くようですし、仙台の人たちに画廊めぐりをするという楽しみが普通になってほしいものです。

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2008/07/12

「版画みやぎ2008」展 開催中

「版画みやぎ」2008
期間7月11日(金)~16日(水)
場所仙台メディアテーク 5Fギャラリー
時間10:00~19:00(最終日17:00まで)

10日の貴重な搬入風景、載せちゃいますっ!

  Hanmiya1

  Hanmiya2

  Hanmiya3

  Hanmiya4

この、みんなワラワラと忙しい雰囲気が、なんだか楽しいんだよね。

ちなみに私は今回の春の作品も展示に間に合わせました。
前回(ガレの個展)で、額装を画材屋さんにまかせっきりにしたのですが、今回はお金がな~い(ToT)・・ということでせっせと自分で額装したので時間がかかりました。
「銅版画制作ノート」の更新もピッタリと止まってしまっていましたが、遅ればせながらこれから今回の春の作品の工程を載せていきたいと思います。

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2007/04/06

開花を待つ日

今年は、桜が咲いたら近くの公園に見に行くくらいの心の余裕がほしいなどと思っているのですが、東北はここ数日寒い日が続いていて開花はもう少し先のようです。
選挙運動もピークを迎え、ウグイス嬢の声も金切り声になってきて、このハイテクの時代に街中を大音響で名前の連呼を繰り返しながら走り回る選挙活動ってなんとかならないものなんでしょうかね・・。
ところでそれはさておき、今年予定していたカフェでの個展がだめになってしまいました。店長が体調を崩したらしくお断りのメールがきてしまいました。
小さい作品があるといいねと言われていたので、30号を2枚描きかけのまま放置して、SMサイズで3点くらい描き始めていた所だったのでちょっと力が抜けてしまいました。その後、どこか別の所で探してみたのですが、ちょうどいい広さの会場が見つからずに今年はあきらめムード。仙台は大きな都市なのに芸術方面で何かしようと思っても不便を感じることが多い街です。

          Kareha
          「枯葉」 油彩 SM


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2007/01/07

空間認知能力

空間認知能力とは目に見えたものの形や大きさ、空間に占める割合、位置関係などを認知する能力です。
立体的にものを捉える能力ということですね。
最近、ひとりの小学生が短時間で正確に目の前に置いたものをデッサンしてしまったのを見て、空間認知能力という言葉が思い浮かびました。私の場合、何回も修正を繰り返しながら、正確さに近づけていくのでとても時間がかかってしまいます。空間認知能力が高いと、この小学生のように一瞬で正確にものの形や位置関係を把握できて短時間で表現することができるのでしょう。

私にとって、たとえば時々方向音痴だったり、収納しきれないと思ったものを他の人がうまく入れてしまったり、などという空間音痴は取るに足らないことなのですが、描いている絵が毎日のように違って見えるというのはとても困ることなのです。

描いている時にヘンなことに気付かない、というのが所謂音痴だと思うのですが、翌日とか時間が経つと気付くので、気に入らない所を修正するのですが、良くなったと思ったのにまた次の日にはヘンに見えるということを延々と繰り返してしまうと、さすがにすっかり自分の目に自信がなくなってきて意気消沈してしまいます。

そんな訳で、思いがけず苦戦を強いられているスフィンクスの絵なのでした・・
(版画にして失敗した下絵を油彩にしたからかなぁ・・)
もういくら時間がかかろうが気にいらない所がなくなるまで、加筆を続けることにします。

   Sphin1
  約半年近く修正を繰り返しているスフィンクスの絵

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2006/12/24

クリスマス生け花

クリスマス・イブ
教会の会堂を飾るクリスマス花です。
プロテスタントの教会はカトリック教会と違って、きらびやかな飾りがないことが多く、白い壁をバックに 一点のこの生け花が心を和ませてくれます。

Ikebana
by網干豊珠:小原流

日本の伝統である生け花には、花が美しく見える基本の構成というものがあって、絵で言う黄金分割みたいなものかもしれない、などと思ったりします。
私自身は花は自然に咲いているのを見るほうが好き、という理由で生け花を習ったことはないのですが、庭の花を花瓶にいけたりする時にみっともなくなったりするので、せめて基本くらいは知っておいたほうがいいよね・・と思うことがあります。
最近はプリザーブドフラワーとかフラワーアレンジメントが流行っているようで、話題になったりモチーフにいただいたりします。
ドライフラワーもプリザーブドフラワーも静物になってしまっていますが、生け花はその名の通り生きている花を美しく構成した一瞬の美です。生きているのでつぼみは開いてくるし、咲いているものは枯れてきてどんどん変化していきます。儚い美を追求していく所が日本的だな、とクリスマス生け花を見ながらなんとなく考えた日でした。

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2006/08/24

吉原治良展

Yosihara
現代絵画への軌跡
吉原治良 展
2006年8月6日~10月9日
宮城県美術館


あまり期待せずに行った「吉原治良展」でしたが、自分の中では予想外になかなか良かったなという感想を持ちました。 期待せずにというのは、チラシにあった「黒地に大きな赤の丸」という作品には特に興味が湧かなかったという理由からです。
会場に行ってから、「吉原治良」があの「具体」の中心的な人物だということに気がついて、ちょっと愕然としてしまいました。

具体美術協会、通称「具体」は、吉原治良を中心に集まった前衛的な美術家集団です。
海外でも高い評価を得た「GUTAI」の活動は、「誰のまねもするな、今までにないものを作れ」という吉原のモットーに貫かれており、美術という概念に捉われない多様な素材や、激しく身体を動かして表現するパフォーマンス的な制作活動が特徴的です。

「具体美術協会」のことは、ず~っと前のテレビの放送でしか見たことはないのですが、それぞれ「!?」がつくような表現活動だったことだけはおぼろに覚えています。特に、メンバーの白髪一雄が天井から縄をつるしてそれにつかまりながら、足でダイナミックにペイントしていた姿は強烈に印象に残っていました。

フランスで「アンフォルメル」という抽象表現活動がおこってきた時期と重なるらしいですが、それより少し前にこの活動が始まっているということは、この流れに乗って始められたとかではなく、吉原の言葉どおりオリジナリティの追求の結果であるということなのでしょう。

ともあれ、その吉原治良の初期の具象作品から、晩年の抽象作品に至るまでの変遷がよくわかる展覧会でした。初期の魚などの作品もちょっと面白い感じを受けましたが、やっぱり戦後になって世の中が少し落ち着きを取り戻した頃の抽象的作品の方が私は好きです。
具象から抽象への移行期の作品は、線とか面、色やモチーフのの配置などにこだわっている様子が感じられますが少し不安定な感じも受けます。時代が経つにつれて筆のタッチや、盛り上がりやうねり、刻んだり流れたりという質感や触感が感じられるものに変わってきて、最終的には明快なフォルムである丸の形に行き着いている、という変遷の過程が一気に見られてなかなかに興味深いものがありました。

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2006/04/30

ヒエログリフ

古代エジプトというとピラミッドやスフィンクスと並んで、興味をそそるのは古代文字です。
文字の世界も調べ出すと面白くて、意外な所で不思議な文字に出会ったりします。
インドの梵字は赤江曝の本の中で不可思議なミステリーを放っていましたし、中国の古代文字はザオ・ウーキーの絵の中で踊っていました。ピラミッドやエジプトの遺跡には、ヒエログリフがびっしりと壁や柱を飾っていたりするのを見るにつけ、また私の思考がどこかへ飛んでいきます。
本や絵や音楽や遺跡や古代文字など、ありとあらゆるものがいろいろな刺激を与えてくれ、精神的な糧となってくれるのでしょうね。

ところで本を読むときに、作家の国や信仰するもの、また時代背景を知ることは、その本の内容の理解力をさらに強める基本となるところですが、本の中に出てくる作家の頭の中にある哲学的なものなどは、本の中のところどころに散りばめられた断片的な言葉から推し量るしかありません。
中学の頃ヘッセを夢中で読み漁った時期があったのですが、小説「デミアン」の中で「アブラクサス」なる言葉に悩み、いろいろ調べたことがありました。今のようにインターネットが普及していなかった時代だったので、思うように調べられず、結局わからずじまいでずっと忘れずにひきずっていた覚えがあります。
今ではインターネットで検索するとなんでも調べることができるので、でかい百科事典などなくても便利な世の中になったものだと思います。

さて、エジプト神話や古代神達、またヒエログリフなどについてもっと知る事ができればさらに面白い発見があるかもしれない、と思い、いろいろその手の本を買ってみたら・・・。
エジプトに関する神話や文字や旅行に関する話が傑作なイラストつきでわかりやすく解説されている本、発見!!

   Kodai_e

 古代エジプトうんちく図鑑
 芝崎みゆき 著


これ、最高!
読んでる最中に何度吹き出したことか・・。


エジプトという風土や物の考え方やこの国が持つ特質みたいなものまで、作者の体験を通して手に取るようにわかります。作者本人直筆のイラストが傑作です。


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2006/04/14

スフィンクス

エジプト、ギザのスフィンクスが10年振りに修復作業とか。(先月のニュース)
スフィンクスというと一番先に思い浮かぶのは、ギュスターブ・モローの絵です。少年のときに買い与えられたという神話の本の中の世界を想像し、頭の中に浮かぶ世界を見事に表現するその描写力には目を見張ります。印象派やロマン主義全盛の折、ひとりそのブームから離れて独自の世界を展開した孤高の画家モロー。私の大好きな画家のひとりです。
また、もうひとり好きな画家の中にレオノール・フィニという人がいます。この画家もスフィンクスを描いています。彼女の絵の中の人の顔は皆本人に似ているような気がするのですが、フィニのスフィンクスは神話の世界というよりは彼女の心の中の住人という感じがします。

心の中の住人といえば、とても印象深く残っているものに山岸凉子の「スピンクス」という漫画があります。心の中に闇を抱え、生きようとする意志さえ閉ざしてしまった少年。治療を試みながら見守る精神科医。少年の見る幻覚がスピンクスとなって表れる様子がいやにリアルに描かれていて、まるで自分が出口の無い白い世界に入り込んでしまったような錯覚さえしてくるようです。スピンクスは少年にとっての「母」のイメージなのです。
山岸凉子の描く漫画の持つ、一種独特の雰囲気のある世界が大好きなのですが、彼女の作品は「スピンクス」をはじめとして、「イシス」「ハトシェプスト」「ツタンカーメン」などエジプトを連想する題材も多いということに今気づきました。

前にちょっと書きましたが、「ゴッド・ディーバ」という映画の場面で空中に浮くピラミッドがあって、中にはエジプトの古代神であるホルス・アヌビス・バステトがおり話はそこから展開していくのですが、よく本や絵や写真で目にするエジプトの古代神達やヒエログリフに想いを馳せていました。
私の愛読書の一冊であるミヒャエル・エンデの「鏡の中の鏡」はホル(ホルスの意味だとか)から始まり、ホルへの呼びかけで終わっていたな、とか 前に見たスティーブン・キングの「キングダム・ホスピタル」にはアンチュビス(アヌビス)というアリクイ(?)のような動物が出てきたな、というようなことまで思い出して、だんだん考えがいろいろな方面へ飛んでいくのが私の悪いクセのようです。


      Sphin

      「目覚め」
      新しい下地のための制作 F3号(未完成)
                         Copyright

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2006/03/03

現在進行中-Now Painting-

寒くてずっと活動が鈍っていましたが、3月に入りやっと少しだけ暖かくなってきたようなので、筆の運びも少しだけ軽やかになってきました。
現在ひたすら壁塗り作業に没頭しています。要するに下塗りなのですが、これが楽しい!
F30号2枚、F20号1枚、F3号4枚下塗り中!

        kabe


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2006/02/11

記憶

ホームページ本館に画像を1点更新しました。
F4の小さい油彩作品です。

           lethe

去年は小さい作品しか描けなかったので、今年は少しだけ大きい作品を描いてみようと思っています。とはいえ、アトリエが狭いので30号キャンバスをイーゼルに載せてみたら、それでもう部屋いっぱいになっているので、たったの30号が凄く大きいキャンバスに見えたりします。アトリエの大きさも作品の大きさに響いてくるんですね。

hakase博士の愛した数式
小川洋子作
新潮文庫

最近「記憶」について考えさせられることが多く、人生というのは記憶そのものなのではないか、などと思ったりしています。100万部のベストセラーになった小川洋子作「博士の愛した数式」は現在映画が公開中ですが、事故で頭を損傷し、事故の時以降の記憶が80分しか持たない数学者と、彼のお世話をすることになった家政婦との交流を描いた物語です。博士と心の通った体験をいくら積み重ねても、80分経つと博士の方の記憶は全部忘れてリセットされてしまいます。周りの人が記憶を積み重ね、愛情が増していくのに対して、博士の方はいつでもその人とは初対面を繰り返し、思い出すことができないという苦悩があり、博士を愛する人達の感じる切なさが伝わってきます。
毎週土曜日にTV放映されているアニメ「BLOOD+」では、主人公のサヤは、時には何十年も続く長い眠りから覚めるとそれまでの記憶をなくしてしまっていて、いつも思い出そうと苦悩するわけですが、主人公を護るハジは逆にサヤが眠っている間もずっと眠らずにすべての記憶を持ち、サヤを待ち続ける運命です。忘れるサヤと忘れないハジ、どちらがつらいだろうかと考えると、これもまた「博士の愛した数式」と同じような切なさと痛みを感じます。

短時間の記憶しかなくなるという映画に「メメント」というのもありました。ガイ・ピアース演じる主人公が妻を殺した犯人を突き止めるために奔走する話でしたが、なぜか10分しか記憶が保てない状態になってしまった主人公が、写真やメモや身体に書き込むという方法で記録を残しながら、記憶から消失した犯人を探り当てていくという、なかなか疲れる内容だったと思います。
「メメント」は「記憶」という意味のラテン語で、「メメント・モリ」といえば「死を想え」という宗教語として知られていますが、芸術の中では死んだものを描く「静物画」が一番メメント・モリの死生観を表しやすいようです。

asita明日の記憶
荻原浩作
光文社

5月に公開される映画「明日の記憶」は、荻原浩の長編小説が原作となっていますが、「若年性アルツハイマー病」という病気が取り上げられています。渡辺謙演じる広告代理店の営業部長を務める50歳の男性が、会議の約束とか相手の名前などちょっとしたことを忘れるという現象からはじまります。
昔から忘れっぽい性格である私はこういう作品を見るとちょっとドキッとします。冷蔵庫を開けて何を取ろうとしたのか一瞬忘れるとか、電話で聞いた名前を切った途端に忘れてしまうなんていうのは日常茶飯事ですし、遺伝なのか、祖母の代から3代続いているこの忘れっぽい性格・・誰もアルツハイマーになった血縁者はいないものの、笑って済ませられるうちに秘かに脳の記憶の訓練でもしておこうかな、などと思っているきょうこの頃です。

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2006/01/25

レンガと壁のマチエール

komiya



小宮英夫展
―油彩・100号の大作からSMまで―
2006年1月20日~26日(木)
仙台「藤崎本館6階 美術工芸サロン」

小宮英夫展を見てきました。ハガキの絵より実物の方がずっと素適です。壁やレンガのマチエールがなんともいえない深い味わいがあってとても惹きつけられました。
蝶や甲虫、花瓶に生けられた花といった題材がロマンチックでした。実際に見て描くのではなく、想像で描いていると聞きちょっと呆然・・。幻視画と呼ばれているそうです。

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2005/11/22

浜口陽三展&河野甲展

-カラー・メゾチントの詩人-
 浜口陽三 銅版画展hamaguti


平成17年11月18日(金)~24日(木)
最終日午後5時まで
仙台「藤崎」本館6階 美術工芸サロン

銅版画技法カラーメゾチントで世界的に高い評価を受けている版画家、浜口陽三(1909~2000)の展覧会に行ってきました。緻密で繊細な版画作品実物をはじめて見て、メゾチントの黒が線ではなく、点描で描かれていると言う話に驚愕しました。そのせいか柔らかな感じの黒の中にてんとう虫や蝶たちなどが鮮やかに浮かび上がっていて、独特の幻想世界を作り出しているようでした。
素晴らしいと自分が感じる版画作品の多くは、その中に“詩”が感じられるような気がします。

aoline

河野 甲(こうの・こう)レザーワーク展

平成17年11月18日(金)~24日(木)
最終日午後5時まで
仙台「藤崎」本館6階 美術工芸サロン

kono隣のスペースで同時に開催されていたレザーワーク展。正直“革工芸”と聞いてそんなに興味を持たなかったのですが、見たら予想外にとても惹きつけられる作品ばかりでうれしくなりました。「皮革」という素材による立体造形で旋風を巻き起こす作家、と作品集にも書いてあるとおり、それは革が貼られた彫刻のようで、とりわけ人体の骨格や筋肉がとてもきれいだと思いました。作家の河野氏がちょうど来場なさっていて、いろいろ話を聞くことができました。昆虫が好きだということで、作品も甲虫やかたつむり、蟻、さなぎなど、昆虫を題材にした作品が見事に革という素材にぴったりマッチしています。羽根の部分は豚の皮を使っているそうで、作家によって使う素材というのは本当にいろいろあるものだと感心しました。

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2005/11/12

若月公平展 in 山形

開催日時:11月11日(金)~29日(火)
開催場所:山形市「ぎゃるり葦」

    waka

今月は行ってみたい銅版画の展覧会が2つあります。
そのひとつ「若月公平展 「双」 2001-2005」に行ってきました。
2004年に銀座で開かれた個展「双」と同じ題名の展覧会です。
副題が-山形での変容-とされています。
若月氏は腐蝕タイプの作家で、最近は具象と抽象が融合したような幻想的な感じのものとか、自然の中に精神性が感じられるといったような作風の版画が多いように思われます。
「双」とは明と暗、具象と抽象、東京と山形といった相反する2つのものを受け入れ、それを内面的なものを排除した作品として提示すると言った意味だそうです。内面的なものを排除と言ってはいますが、木の葉一枚の作品にしても叙情性が感じられ、そこに詩が書いてあるような気さえします。木肌や根の細密描写の大きな作品は、なんともいえない迫力があります。
これは去年銀座の「東和ギャラリー」に行った時に、許可をいただいて撮った個展風景です。
今回の山形の展覧会は、きれいな色のついた作品も展示されています。

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      waka4

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2005/10/14

大原美術館展

     1_018

宮城県美術館で11月6日まで開催されている展覧会です。
大原美術館は倉敷に旅行した時に一度入って見たことがあります。
たしか「エル・グレコ」の絵が印象的だったという思い出がありましたが、残念ながら来ていませんでした。
スーラとともに新印象派を代表する画家、シニャックの「オーヴェルシーの運河」はスーラの点描より少し大きめの、点というよりは角で描かれている感じですが離れてみるとほんわりとした優しい風景画です。
チケットにも印刷されているセガンティーニの「アルプスの真昼」は同じような筆触分割の手法を使っているのですが、点ではなく線を細くぬりかさねて描いているせいなのか、離れてみるとアルプスの太陽の輝きにあふれたコントラストの激しいくっきりとした風景画です。
その他にもムンクやルオー、クレーなど数々の印象的な風景画、肖像画、版画など、普段なかなか見られない作品を鑑賞してくることができました。
美術館に行くとついやってしまうのが、他の美術館の特別展のチラシ集めと、展覧会グッズの物色買いです。
岩手県美術館の特別展のチラシはなぜかいつも気に入って、ずっと取っていたりします。
チケットをはさんでいるのがセラミックのはがき立て¥560(単に大原美術館で売っているというだけのグッズらしい)
隣りは諸橋近代美術館で買ったダリの鉛筆削り

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2005/04/28

現在進行中-Now Painting-

     isihana
     この完成画像を見る(2005/9/3)

これは「石の花」(仮題)という最近描き始めた絵です。モチーフには砕いたレンガと砂を使っています。まだ下絵の段階ですが、なんとなく考えている次の個展のテーマである「彫刻と石シリーズ」作品の中の一枚となる予定です。これからテンペラと油彩でマチエールと色をつけてゆきます。
最初から色のイメージが頭の中に浮かんでいる絵の場合と違うのは、白黒で描きあげたデッサンの段階とか、淡色で塗った下塗りの段階で、そのモノトーンの色彩が気に入ったりして、時々ここで終わらせてしまおうかと思ったりすることがあります。

モノトーンの習作の中でなんと言っても好きなのは、
レオナルド・ダ・ヴィンチの「手の習作」です。<下の画像>

vinteこれは個人的に“手足が好き”という好みにもよりますが、色がつけられて完成された作品とはまた違った魅力が感じられるからです。
しっかり描いたものより、この途中で終わったような微妙な濃淡の絵の方が好きだったりします。

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2005/03/07

道標-鳩

kouen4

台原森林公園には柳原義達の彫刻があります。「道標-鳩」シリーズです。
実は私が初めて氏の作品にふれたのは「鳥の素描」だったのですが、これがとても心に残るものだったため、私の中では柳原義達はずっと鳥の素描の人だったのです。ところが、ある時ふと森林公園の鳩の彫刻を見た時に「柳原義達の鳥がいる!」と思ってしまいました。それほど素描と彫刻は一体化していたのです。

kouen7

柳原義達のアトリエには純白の孔雀鳩が飼育されていたということで、氏は長年この華麗な鳩の姿や動きを見ながら過ごしてきたそうです。私は氏が綴ったという鳩に寄せる美しい詩を読んで、ますます心酔の境地を深めてしまいました。
ここにその詩を載せてみます。
   *****   *****

鳩は美しい。

毎日の日課になっている私の素描のときは、
嬉しさに身ごとよろこんでくれる。

私の鳩は孔雀鳩で、その感動は白に光り、
そしてゆれ動く。

あるときは一本の足に、不思議な身動きの安定を求め、
あるときは両足にヒロイックなポーズを乗せる。

この籠の鳥は、
私のそのときどきの意志の方向に姿をかえさせられる。

あるときは風の中の鳩になり、日向ぼっこの鳩になり、
嵐の中の鳩にすらなる。

私の夢が自然のなかをさまようとき、
私の鳩も籠からはなれたかのように思える。

自然の息吹と鳩とのかかわりが
いつのまにか私の素描になってくる。
身動いている不思議な命に鳩がみえてくる。

私は彫刻家としての喜びにこのときはひたっているのだろう。
私の手のなかで、大気にはばたく私の鳩がいて、
それは空間の動きで生命の美しさを感じる。

   *****   *****

hato1柳原義達は、「彫刻は触覚空間の芸術である」として繰り返し素描を描き、人物や鳩など 氏の言う ”自然の法則”=量の移動、量と量のひしめき、面の構成、均衡の美しさetc.を、頭の中で完全に把握してから彫刻制作に取り掛かっていたといいます。

間近で見た鳥の素描は、紙がペンによって彫られたり削られたりしてささくれだっているものや、まさに穴があこうとするまでペンで彫りながら真っ黒く塗りつぶされていたりしており、絵画的というよりは彫刻的、触覚的なものでした。そしてそんな中にさきほどの詩に見るような、対象に寄せるどこか噴き出すような感情や、何かを捉えようとする葛藤のようなものが感じられ、私の心を惹きつけて離さないのかもしれません。

   hato2

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2004/12/23

ザオ・ウーキー展

フランス現代絵画の巨匠 ZAO WOU-KI

何年たっても、
絵画は私の唯一の情熱の対象であり続けています。
・・・ 私には、何を描きたいのかが 前もってまったく
分かっていません。
描くこと、それはまず何よりも「冒険」なのです。
                  ――― ザオ・ウーキー

私にとって、近年最大の感動と衝撃を受けた展覧会を見てきました。
ブリヂストン美術館で開催されている「ザオ・ウーキー展」です。

zaoposterこんな抽象画は今まで見たことがなかった!と思うほどの深い感動を味わいました。いくつかの部屋に分かれて展示されていたのですが、次の部屋に移るたびにひとつひとつの絵の持つ不思議な迫力に圧倒され、声にならない感動が身体を満たしました。
絵の前から動けなくなるという経験は、はじめてのことです。

ザオ・ウーキー(趙無極)は中国で絵画を学び、フランスに渡って帰化しフランス人となった人です。“抽象山水”とも呼ばれるその絵画は、欧米の抽象表現主義などの前衛芸術の展開をふまえながらも、書や水墨画といった東洋の造形伝統を色濃く感じさせるザオ独自の抽象世界を展開している、と書いてあります。
実際、絵の霊感源は生まれ育った中国の山水の世界であることが多いらしく、北宋の山水画を思わせる形象や色使いを感じさせるものや、甲骨文字様のものが絵の中に沈んだり浮き上がったり隠れたりしているものも多数あります。
ひとつとして「同じような作品」がないということ、またひとつの作品を完成するまで集中して描き上げるということは、ともすればパターン化されがちな自分のスタイルに固執するのではなく、ひたすら純粋にその時の感動を絵に表しているという姿勢が窺えます。

また、最初の頃つけられていたザオの作品の「題名」はある時以降つけられなくなり、「22.06.91」などというただの記号となっています。これは、作品に題名をつけることなどは最早不可能ということでもあり、絵を見て各人が自由に何を思おうとかまわないというザオの姿勢の表れでもあり、作品が完成したと見なす日付を題名の替わりにつけているに過ぎないそうです。
こうしてみると、自分の作品の題名にいろいろと言葉を連ねている私も突き詰めれば、絵は見ているものの感じ方で自由な訳ですから、題名などつけなくてもよい、ということになるのでしょう。
マグリットなどは、わざと絵となんの関係もない題名をつけて楽しんだという話ですが、作品というものは理解する為にあるのではなく、感じるためにあるものですから、見る人が題名と絵を照らし合わせてそこから何かを読み取ろうとしても、結局は徒労に終わるだけなのかもしれません。

ただ私は言葉が好きなので、たとえばフジツボを描いた絵に、「無題」とするよりは「ゆらぎの曖昧な記憶」とつけることによって、その絵が長年勤めていた会社を辞めたばかりで、安堵と不安の中で描いていたような気がする自分の境地とか、フジツボが海水の中で生きていたであろう時間などに思いを馳せながら筆を運んでいたという状況までもが淡く思い出されて来るのです。
言葉を見ただけで絵が浮かんでくるというのも良いものなのではないのか、とも思うのは精神世界を直接表現する抽象画とは異なる、具象画の世界だからなのかもしれません。そしてつまりは、私が題名をつけるのは、自分自身に対する確認行為だということになるのでしょうか。

zaobook

ブリヂストン美術館は天井が少し低いため、ザオの大きな高さのある作品は持ち込めなかったということで、とても残念に思いましたがそれでも油彩、水彩、水墨、版画合わせて70点あまりの作品は皆、筆舌に尽くしがたい迫力を持って心に迫ってきます。
これだけ深いザオの境地になるにはあと何十年かかるのでしょう。もしかすると一生この境地には至れないのかもしれません。それでも、私にとってザオがこれだけの作品を描くのに、まるで憑かれたように描くというのではなく、ある部分は綿密に計画をたてて画面を構築し、描き上げて行く画家だったという所に少しホッとする感がありました。

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2004/10/16

静物画とモチーフ

     hanpuku.jpg

これは私のMain Web Site「画家の部屋」の中の「卵の部屋」に置いてある「反復形象」という絵です。この絵の中の白い植木鉢は見る人によって「ゴミ箱」と捉える人もいれば象徴的に「お墓だ」という人もいて私なりに感心させられます。お墓だと言った人は最近父親を亡くされた方でした。絵を見る人は画家の受けた感覚を一緒に感じるということですが、これは見る側の心境に関わってきますので受ける感じはこの例のように様々だと思います。

静物画は何をモチーフに選ぶかで、もうその画家の中の宇宙が表れてきます。モチーフの並べ方はもちろん、色の選び方ひとつにしても画家の内面を表す要素です。その時感じているさまざまな思いや心の中に浮かぶイメージをモチーフを通してキャンバスに描き出そうとします。どこで完成させるかは人によって様々ですが、私の場合本当の意味での完成ということはありません。“どこで自分を許すか”で終わりが決まります。


「アルティミシア」Artemisia (1997・フランス)VHS
      Artemisia.jpg

監督:アニエス・メルレ
出演:バレンティナ・チェルビ/ミシェル・ゼロー 他

ところで、静物画はかつてフランスのアカデミーでは絵のスタイルの中では一番格下のものとして扱われていました。最高は神を主題として取扱う「宗教画」や「歴史画」。次に人間を描く「肖像画」。そして人間より格下とされた自然を扱う「風景画」、無生物を扱う「静物画」と続きます。当時女性は人間を描くことが許されていませんでした。それで「静物画」は女性がおおっぴらに描くことのできる唯一のものだったのです。
1997年のフランス映画「アルティミシア」では有名な画家を父に持つ娘のアルティミシアが、父の才能を受け継いで優れた画力の持ち主でありましたが、その当時の女性に閉鎖的な環境の中で男性に変装して絵の工房に通ったり、使用人の若い男性を誘惑して隠れてデッサンしてみたりと自由奔放な姿が魅力的にえがかれています。最後の方は師である画家と深い関係になって、なんだか悲惨なことになってしまうのですが、芸術は男性のものである的な環境がよくわかる映画であります。

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2004/09/11

絵のモチーフと写真

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これは、私のMainウェブサイト「画家の部屋」の中の「彫刻の部屋」に置いてある「曙の子」という絵のモチーフ写真です。写真を見て描く訳ではありません。絵が完成した後、モチーフをくずす前に記念に撮っておいたものです。たまに私の絵を見て「写真みたい」と言う人がいます。私は写真を見るのは好きですが、写真みたいに描いているつもりはないのです。それで、ちょっとここではたまに モチーフの写真を載せてみたりしたいと思います。

物を見てそのとおりに描くだけなら図鑑等に載せるための絵と同じようなものではないでしょうか。写真を撮ることも、撮る人の気持ちや技術によっては その人の心を表現することのできる手段になると思うのです。絵は見ているモノが 自分の中で美化され、昇華され、感覚で表現されるからこそ絵としての価値があるのです。表現するという行為が意味を持つのです。それは具象画でありながら抽象画のように自分の内面をさらけ出すことに等しいものです。

では、同じ心を表したとして、写真と絵の違いは何かとつらつら考えてみるに、やはり大きな違いは「時間」なのでしょうか。写真は自分の心をシャッターを切る前の凝縮された一瞬にかけるのだとすれば、絵は線を重ね 色を重ねるその一筆一筆に心を込めるのだと思うのです。
点描画家は夭逝すると言われています。実際、スーラほどの点描画家になると、点描のひとつひとつを 網膜上での色の混ざり具合まで計算しながら 魂を込めて描いていくので、点描作品を描けば描くほど 出来上がった時には魂をすり減らしているというのも うなずける話です。

参考blog記事:「写真で心を表現するって?」

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2004/09/01

現在進行中

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今描き始めているこれは、K先生のところからもらっ・・貸していただいてるポインセチアの造花です。誰かが去年のクリスマスに持ってきた赤と緑のケバケバしい色の造花だったのですが、K先生がある時筆でジェッソを塗り始めたのでどうなるんだろうと思っているうちに、ワインのビンとともに白いビンにさした白いポインセチアの出来上がりとなりました。「おぉ、これは見違えるようだ」と思って、ちゃっかりもらって・・違った、借りてきちゃったんだよっと。今、バーントシェンナでラインを描き、テールベルトの影をつけたテンペラを塗る前の下塗り段階です。これからグレーズします。これは12月の個展に間に合うかなぁ。

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