去年雑草伸び放題にしてしまった庭も、冬には枯れてなんとなくすっきりしていたのですが、暖かくなってくると同時に息を吹き返したごとく、凄い勢いでまた雑草が伸びだしました。
去年は緑がキレイと思っているうちに、台風が来たり雨が降り続いたりして、放っておいたらあっという間に雑草が物凄い背の高さに育ち、まるで人が住んでいないかのような有様になってしまいました。
雑草の合い間をしじみ蝶が飛び回り、蜂が飛び、女郎蜘蛛の大きな巣が銀色に光って、なんとも長閑な景色に心が和みます。
分け入っていくとあちこちから、バッタやらこおろぎやらいろいろな虫が慌てて逃げ出し、夜にもなれば虫たちが盛んに鳴いて、きっと今生の楽園での生活を謳歌しているに違いありません。
虫がいなくなるまで放っておこうと思いそのまま冬を迎えたというわけですが、雑草の中にもどんどん自分の領域を増やそうとする、やたら生命力の強いのがいて、こんな狭い庭でも激しい生存競争が繰り広げられているようです。
雑草というとすぐに、タルコフスキーの映画「サクリファイス」が頭に浮かびます。病気の母親が、いつも眺めていた荒れ放題の庭の話です。母はそこに美を見つけていた、と主人公は言います。しかしそれに気づいたのは、主人公が庭の手入れをして後、母の病気が重くなり、寝たきりになってしまってからでした。雑草を取り、木の枝を伐り、自分が手を下してきれいに整えた庭を、ある日母の視点で眺めた時、その不自然さに気づきはっとするのです。
自然であること、あるがままであること、そこに美は存在する、と主人公の口を借りてタルコフスキーは語りかけているようです。

ところで、荒れ放題の庭を放っておくと一番うるさいのは私の母です。人がいないと思われて泥棒が入るよ、とか、周りに雑草を伸ばし放題にしている家なんてないよ、とか、せめて外回りだけでもきれいにしてないと格好悪いよ、とか言ってきます。いくらタルコフスキーの美学を説明しても無駄であります。
この間、虫除けの網付帽子をかぶり大量の指定ゴミ袋と草刈鎌を持って現れた母と、一緒に草取りをしました。
母は首をかしげて私を見ていましたが、あちこちで可愛い花をつけている雑草は残しておきました。

塀際に植えたはずの花が、いつの間にか道の真ん中に侵出してしまいました・・。さすがに踏んで行く人はいないけど、こんなはずでは・・、の光景。